写す。

家の掃除してて、もうついでにいっそのこと前の彼女との思い出の品々も捨てようと思ったけど、手紙とか見返してたらなんだか捨てきれなかった。もう吹っ切れたと周りには言いつつも、実際はまだ引きずってるんだなーって思い、昨日からモヤモヤしてた。ぼーっとしながら今までにアップしてきたfacebookの写真を見返したら、なんだか自分含めてみんないい顔してるのね。その時はその時でみんなもしんどかったんだろうけど。そんな写真見てたら、あーたぶん今の時間も自分にとっては必要な時間なんやろなーって、今の顔もある意味いい顔なんやろなーって思えてきた。とりあえず今のこのモヤモヤは思い出の品々もろともクローゼットの奥深くにしまっておいていいのかもしれないな。
ほんでやっぱり写真っていいなと思った。「真実を写す」で「写真」。移すでも、映すでもなくて、「写す」。設定次第で色味も明るさも変えれるし、それは真実なのかって言われればそうじゃないかもしれない。だけど、そもそも確かな真実なんてあるのかなとか、今知ってるものは真実と言えるんかなとか考えると、わけわからなくなるけど、その人にとっての真実はフィルター越しにあるんだろうなって考えると、写真ってすんごい面白い。僕は建築を学んでいるけれど、コンセプトとかまとめるのすごく苦手。だけど、写真一枚でなんとなくその建築のことはわかると思う。それは建築を勉強してても、していなくても。文字の力を否定する気は無くて、ただ、写真が持つ力ってすごいなあって思う。
頭がごちゃごちゃだから、文章もごちゃごちゃだ。だけどこの日記も僕にとっては真実で、こんな日記もたまにはいいかもしれない。不確かな真実を見つけるための日記。

僕が思う真実と、彼女が思う真実はきっと違うであろう真実。